横浜大洋ホエールズを知っている最後の世代として…


本日は記事でも何でもなく私情を挟んだ過去の思い出話を

私は、1984年生まれの現在32歳
生まれは名古屋だが、3歳の頃から横浜に生まれ現在も横浜に住んでいる

5歳の頃横浜スタジアムに初めて行った
どんな試合だったか全く覚えていない
しかし高木豊のリストバンドを買ってもらったことだけは覚えている
なぜ、試合内容を覚えていないかは、覚えている
それは目の前で行われている試合には
大好きな原も桑田もいない
代わりにヒゲを生やした選手が、マウンドにもセンターにもいたということだけだ

元々私は巨人ファンでもあった
父は長嶋の現役時代を知っている世代で巨人ファン
影響を受けていた

しかし当時の巨人戦チケットはプレミアムものだ
後楽園のチケット屋、伊勢丹のチケット屋に発売日に並んでようやく買える代物だ
野球に興味を持った5歳の子供を野球場に連れて行くには巨人戦の敷居は高い

そこで父は思ったはず
「あ、横浜にはもっと簡単にチケットをとれる球団があるじゃないか」

それが横浜大洋ホエールズ
私は5歳という年齢で“転向”したのだ
巨人ファンから大洋ファンへの転向
右翼から左翼に変わった昔の思想家のようだ

それでも私は横浜大洋をすぐに好きにはなれなかった
とにかく弱いのだ
当時の4番は山崎賢一
本塁打なんか打たずにコツコツ単打を稼ぐ選手だ
小学生にあがる前の幼児を惹きつけてはくれない
観に行った試合では移籍直後の島田が先発で四球を連発して試合を壊したり
その後に出てきた欠端、田辺がもっと試合を壊す
巨人の伏兵福王にホームランを打たれた試合…など
良い思い出はない
遠藤一彦がかっこいいかなと思うくらいであった

そんな私も小学生に入学し横浜市歌を校歌以上に歌わされていた頃
私は初めて好きになる選手が2人できる

一人は谷繁元信
捕手でありながら、背番号1
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彼の強肩、強打には惹きつけられた
また、小学校1年生の時に好きになったコが谷繁のファンだったいうのも惹きつける1番の要因となる

そしてもう一人が盛田幸妃
1992年、背番号15をつけたリリーフエース
リリーフでありながら最優秀防御率を獲得
谷繁も引退後に「自分が受けてきた投手で最高のシュートの持ち主は盛田」と言うほどの
シューターに私は惚れた

この年、小学校2年生だった私は「W」の帽子を被って通学していた
ライオンズ帽子や巨人帽子を被る友人達の中で浮いているようではあったが
それが誇らしくもあった
92年好調だった阪神のファンのクラスメートに言われた言葉を覚えている
「大洋弱い、横浜大洋よえーるず」
パチョレックが阪神に移籍したお陰でたまたまその年だけ優勝争いをした阪神に
そんなことを言われたのが悔しかったことを覚えている

それからまもなく
「横浜大洋ホエールズ」という名前がなくなることを父から聞いてショックを受けたのを覚えている
わずか4年くらいの付き合いではあったが幼少期の4年は非常に長い
私の心には確かに大洋があった

おそらく私が大洋を知っている最後の世代だと思う
「大洋を知っている」というには、歴史は浅いかもしれない
それでも大洋という存在が私に野球の魅力を教えてくれたことは間違いない

ミヤ―ンも山下大輔も田代の空振りも記憶にはない
それでもレイノルズ、マイヤ、シーツの記憶はある

大洋を知っている最後の世代として今日からの「W」復活シリーズを楽しみたい

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