ベイスターズ3代目背番号3 石井浩郎  拝啓、石井浩郎のベイスターズ時代 


98年危険球退場になった侍、横浜へ

1998年ベイスターズが優勝したあの年
開幕してからまもなく、大魔神佐々木が危険球で退場となる試合があった

4月10日対巨人1回戦
3点差を8回に逆転したベイスターズは最終回に佐々木が登板
試合はそのまま勝利すると思われたが
2死を簡単にとった佐々木は代打石井浩郎にフォークが抜けて頭部に死球
危険球退場となった
参考記事:1998年4月10日対巨人戦1回戦 大魔神危険球退場の緊急事態

そのボールを当てられた石井浩郎は、それから4年後この横浜ベイスターズに移籍してくる
背番号は3
ホエールズ時代を除き、ベイスターズでは歴代3代目になる背番号3
今日は石井浩郎のことを書いていこうと思う

 

4番打者362試合連続記録

早稲田大学を一般入試で合格したインテリの石井浩朗はプリンスホテルを経て近鉄バファローズに入団する
1年目から本塁打22本記録し、それから5年連続20本塁打以上を記録
5年目にはシーズン33本塁打を記録した
そして近鉄の4番打者として中心選手に成り。4番打者の362試合連続記録も達成している
しかし怪我での離脱が多く95年からは出場試合も激減
96年には左手首を骨折し、オフの契約更改で怪我の公傷を巡り球団と意見が合わずに
年俸調停へ、そのまま巨人石毛・吉岡とのトレードで近鉄を離れることになる

4番打者コレクターの巨人で代打役

石井浩が巨人に移籍した1997年の巨人は他球団で4番を打っていた選手が集まっていた
4番候補は多い
生え抜きの松井はもちろん、ヤクルトから移籍して数年たっていた広澤、西武からFAできた清原
助っ人のカスティヤーノ、ルイスそして代打だけでは終わらない吉村
4番で362試合出場の日本記録を持っていながら石井浩郎には4番どころかレギュラーの座も約束されていない
近鉄時代の怪我の影響もあり、6月までファーム調整を余儀なくされたが
6月の横浜戦で、大魔神佐々木から同点本塁打を放つなど、勝負強さを発揮
FAで移籍してきた清原の不調で4番を任されることもあった
しかしわずか2カ月でまた怪我で登録を抹消され、充分な結果を残せなった

かつてのライバル森に乞われて横浜へ移籍

怪我でしっかりした結果を残せなかった石井は2000年オフにロッテの河本とのトレードでロッテへ
ロッテ時代は主に代打やDHで出場するも、ここでも怪我との付き合いで成績は残せず
2001年に戦力外通告を受けて引退を考えた
ところがそんな石井に声をかけた球団があった
それが横浜ベイスターズ
当時の監督森は戦力外を受けた石井に直接電話
「お前の背中をとにかくウチの若い選手に見せたい」と頼まれ、横浜への移籍を決断する
2001年からベイスターズの監督を引き受けていた森は
確固たるベテランがいないために選手がだらけているようにも見えるベイスターズを懸念し
実績のあるベテランにきてもらうことで緊張感をもたせようとした

ベイスターズに入団した石井は背番号3をつけ4球団目のユニフォームに袖を通す
しかし長年怪我と戦い続けた体は既にプロ野球選手としては限界
スタメンで起用されたこともあったが、チームは最下位に転落
石井の背中を見る余裕もないままにチームは空中分解
監督の森が1年契約を残して途中で休養
石井はこれといった貢献ができないまま引退を決めた

 

夢をあきらめないで

「あなたの夢を諦めないで♪」
今や学校の合唱曲としても使われるヒット曲は
怪我した石井浩の現役時代を何度も支えてきたという

1997年石井浩はその曲を歌う岡村孝子と入籍
怪我で苦しいシーズンを共に歩んできた

しかしその数年後に離婚
現在は3度目の入籍をしている石井
現役時代の野球で感じたストイックな姿勢は私生活ではやや違ったのか…

石井浩のベイスターズ時代のエピソードはあまり覚えていない
代打で何度か球場で見かけたが、印象に残る1打は打っていない

荒木大輔、岸川勝也など往年のスタープレイヤーは最期なぜかベイスターズに来るが
石井もその代表的な例といえる

しかしかつての4番打者が腐らず代打としてベンチで出番を待つ姿勢は
今のベイスターズの選手も見習わないとならないだろう

今野手にこのようなベテランがいないベイスターズの若手野手は誰の背中を見ればいいのだろう

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