98年大魔神佐々木伝説の6月  1998年6月4日対巨人@東京ドーム 3-0○ 


19980604[スタメン批評]
(ベイスターズ)
怪我と不調で離脱していたローズがこの日からスタメン復帰
5番セカンドで先発出場
6番には谷繁が起用される
打順は違うがこれで98年マシンガン打線の役者が揃った
(ジャイアンツ)
3番松井4番広澤5番ダンカンのクリーンアップ
捕手は杉山、投手は小野
前日までに連勝した巨人はやっと勢いがでてきた

[試合経過]
この日先発の川村は序盤から巨人打線に付け入る隙を与えないピッチングを見せれば
初回に駒田の犠牲フライで1点を先制したベイスターズ
6回に小野のインコースギリギリのストレートを尚典が
天才的なスイングでライトスタンドへソロ本塁打
7回には進藤がレフトスタンドへ8号ソロ
先発川村が8回2死まで投げるとそこで権藤監督は佐々木を投入
代打吉村フォークで三振にきり8回を終えると
9回裏は石井浩をセンターフライ、仁志をフォークで三振、最後の清水も内野ゴロで締めて
日本記録の217SPを達成した

 

“PlayBack’98特別コラム-あの時あの星たち-”

1998年6月4日号「大魔神佐々木の98年」

-横浜の中心いや1998年の中心にいた大魔神-

プロ野球のストッパーという仕事の過酷さは
スタンドで「靖晃ジャンプ」をして喜んでいるだけの我々ファンには計り知れないのだろう
投げるのは1イニングだが、絶対に打たれてはいけない立場にいる彼らのプレッシャーは想像できない
山崎靖晃が今シーズンやや苦しんでいるが、それでも彼に対してあまり野次が飛ばないのは
ファンもその苛酷さが凄まじいのだけはわかるからだろう
しかしその苛酷な役割をプロ2年目から引退するまで守り続けた選手が
ベイスターズにはいた
1998年流行語大賞ともなった「大魔神」の愛称で呼ばれた男
佐々木主浩、背番号22
彼こそ、神奈川の年1998年の中心にいた横浜ベイスターズの
さらに中心に君臨した

-優勝経験のないストッパー-

1990年入団1年目から1軍の試合で投げ続けてきた佐々木
2年目からは怪我の遠藤一彦に代わってストッパーの役割を任されて
6勝9敗17S結果を残した
翌年は12勝6敗21Sという
見ただけでは先発投手なのかリリーフなのかよくわからない成績ではあったが
最優秀救援投手賞のタイトルを獲得する
それ以来94年に怪我で離脱した年以外は
常にベイスターズの守護神として君臨し
不動のストッパーは球界一の守護神として認められ
巨人長嶋監督から
「ベイ相手の時は8回までしかチャンスがない、佐々木を出したら勝てない」
とまで言わせた
しかしその佐々木がどんなにセーブをあげようと
何度セーブ王を獲得しようとベイスターズは下位にいた
“優勝請負人”と言われた江夏豊はそんな佐々木にこう言った
「優勝を知らない男が本当のストッパーと言えるのか?優勝を争う試合で試合を締める選手こそが本当のストッパーだ」
それを聞いた佐々木は
「強いチームでセーブをあげるのは簡単だ、弱いチームでセーブを稼ぐことの方が難しい」と反発する
しかし実際佐々木の言葉と江夏の言葉どちらが重みのあるものだったのだろうか

-優勝“争い”の経験のある守護神となった1997年-

そんな佐々木が初めて優勝争いを経験したシーズンが1997年
5月まで断トツ最下位だった横浜ベイスターズは
マシンガン打線と川村、戸叶、三浦という若手投手の台頭
そして黒星がつかない大魔神佐々木の活躍でチームは首位ヤクルトデットヒートを繰り広げる
この1997年
5月20日の巨人戦では
1点リードの8回表からマウンドに上がり
1番仁志、2番福王、3番松井、4番清原、5番広澤を連続三振
5者連続三振の圧巻を見せた
この年の佐々木は3勝38S防御率0.90
WHIP0.70は98年の0.80よりも低い
97年終盤までヤクルト優勝争いを出来たのは大魔神佐々木の活躍があったからだろう
この97年の経験で佐々木は江夏の言葉に納得はいかないが
江夏の言葉の意図は理解できたという
この1997年、佐々木は1番のファンであったという自身の父親を7月7日に亡くしている
その日訃報を知った佐々木は監督大矢に「実家の仙台には帰らないで、チームに帯同したい」と話した
そんな佐々木に大矢は「試合は大丈夫だから、お父さんとちゃんとお別れを言ってきなさい。」と諭し
仙台に帰した
佐々木がいない翌日の試合ベイスターズは8-2と快勝
「佐々木さんに心配をかけない試合をしよう」とチームがひとつになっていた
強いチームには自然とチームワークも良くなる
チームメートのそんな気持ちに佐々木は甚く感動したという

-大魔神伝説の年、1998年の幕開け-

「優勝」それを一番の目標に掲げた1998年
佐々木にとっては毎年シーズン前に目標として話す「優勝したいですね」
より「優勝」という言葉の重みを強く感じた年となった
口先だけの目標ではない、本当にmustの意味での優勝だった
98年は開幕第2戦に初登板そこでセーブをあげると
2試合目となった4月10日にはまさかの危険球退場もあった
それでも佐々木は調子を落とさず5月からは
数々のセーブポイント(セーブ数+救援勝利数)記録を樹立
5月30日にはあの江夏の記録に並んだ
そして6月4日ついに江夏の持つ記録を越えることに成る
この日のヒーローインタビューで「次の目標は?」と聞かれた佐々木はこう答える
「チームの目標がありますからそれに向かって頑張るだけです」
この年佐々木は終盤まで「優勝」という言葉を意識的に口にしない
それはこの言葉の重みがようやくわかったからだろう

佐々木にとってこの98年は数年前に江夏に言われた言葉を実感しながら戦う年となった

しかし佐々木が98年に成し遂げた記録はこんなものは序章でしかない
10月8日の伝説に向けてベイスターズと佐々木の挑戦は本格的に始まる

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  1. 98年は当時福岡から6回ハマスタへ試合を観に行ったが、勝っても不満の試合があった。
    それは9回に「ピッチャー、佐々木」のアナウンスが聞けない、4点差以上のゲームでの勝利。
    3点差以内、3点差以内と祈りながらそして「ピッチャー、佐々木」というアナウンスと同時に
    「ドッー」と湧くスタジアム、その瞬間なぜか、いつも涙が出ました。
    そして佐々木が出るとセーブをとっても不満の試合があった。それは三振が0、ないし1.
    三振が取れる。抑え。そんな佐々木が大好きだった。

    1. わかりますね、その気持ち
      「ピッチャー佐々木」とウグイスが告げてその後スタンドが湧くあの瞬間、凄く感動的な形でしたね
      今も多くのファンがスタンドに来てもまだその感動を味わえないのは
      やはりチームが緊張感のある状況になっていないからでしょうか…
      監督になって欲しいとは思いませんが、それでも佐々木のあの時の存在はファンにとって特別なものですよね

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