ベイスターズ5代目背番号00 稲田直人 野球界の水曜どうでしょう横浜の旅2011


道産子人気の高かった稲田の横浜放浪記

前回紹介した森笠繁が引退した後2011年より背番号00をつけたのは
2010年より日本ハムからベイスターズに移籍した稲田直人です

稲田は、広島に生まれ地元の強豪広陵高校に進学し
甲子園出場はなかったものの2年夏から遊撃手のレギュラーとして活躍し
駒沢大学に進み社会人JFE西日本から
2003年のドラフト5位で日本ハムファイターズに指名されます

背番号54をつけた稲田は入団2年間を1軍出場なくファームで過ごしますが
2006年交流戦広島カープとの6月18日の試合で代走として1軍初出場
その年の7月1日には楽天一場からツーベースを放ちプロ入り初安打を記録します
またその数日後にはスタメン出場も果たし1軍で33試合に出場

日本ハムの北海道での初めてのリーグ優勝に貢献します

翌年は開幕1軍を果たし、1塁3塁を中心にユーティリティーぶりを発揮し83試合に出場
また持ち前の明るさでベンチのムード―メーカーとしてチームメイトやファンからも愛され
北海道のローカル番組にゲスト出演するほど地元での人気が非常に高い選手となります

まさに北海道での人気は高く
言ってみれば野球界の水曜どうでしょうと呼んでもよかったほどだったようです

球団もその人気とムード―メーカーぶりを評価し2008年より背番号5を与えられます
代打率4割を記録し、欠かせない脇役となった2009年オフ
べイスターズの加藤武治、松家、関口と坂元弥太郎、松山そして稲田の

3対3のトレードが両球団が発表され
北海道の人気者は、横浜に進出することとなりました
移籍直後はローカル番組で涙を見せるも
持ち前の明るさでベイスターズにすぐに溶け込みます
と、言っても
稲田が移籍した2010年のベイスターズは
生え抜きを放出しては空いたポジションの選手を他球団からかき集めていた時期で

この年だけでもロッテから橋本・清水直行・早川大輔、ソフトバンクから篠原など
半数以上が移籍してきた選手で構成されているチーム状況
稲田が溶け込みやすかったのも頷けます

しかし、それだけ他球団から選手を集めること自体
このチームの現状を物語っておりチームは
2年連続の最下位

ペナントレースにも参加できない状況でした

背番号32をつけた移籍1年目は22試合の出場で終わった稲田でしたが
翌2011年には背番号00に変えて心機一転文字通り0からのスタートを切ります

この年は日ハム時代同じようにムード―メーカーとして盛り上げた
森本稀哲がFAでベイスターズに移籍
俄然稲田にもやる気がわいたことでしょう
キャンプでは連日最後まで特打に汗を流します

このシーズンは3番を打つ助っ人ハ-パーの守備があまりにお粗末だったために

ハ-パーの守備固めとして出場機会が増え

7月には名古屋ドームで代打適時打を放ち
この年調子が出ず勝利のなかった先発三浦に初勝利をもたらします

出場試合数は61試合と前年の3倍近く出場試合数を増やしますが
2011年オフ球団はTBSからDeNAへ球団は身売りされハ-パーが解雇
ハ-パーのバーター的な役割だった稲田も戦力外通告を受けてしまいます
戦力外受けてすぐに楽天イーグルスに入団が決まるも
1年で人生2度目の戦力外通告を受けて引退を決めます

私のベイスターズ時代の稲田の印象は、「もっとうまく使ってあげれば」
ファイターズ時代のユーティリティーぶりを見れば
暗黒最下位時代のベイスターズではもっともっと使い道があったのにと感じてしまいます
まあ、稲田の守れるサードには村田がいて
セカンドは移籍してきた渡辺直人がいたりとなかなか壁は高かったとは思うのですが
それにしてもハ-パーの守備固めしか働き口を与えられていなかった状況はあまりにも…

それでもあの暗いイメージしかない2010~2011のシーズンをベンチで盛り上げていた稲田直人の姿勢は
今のベイスターズの若手も見習わなくてはならいでしょう

引退後は地元(もう広島よりもそう言えるでしょう)北海道でスポーツキャスターとして活躍

現役時代以上の活躍を見せているそうです

野球界の水曜どうでしょう

とも言える稲田直人の物語はまだまだ旅の途中というとこでしょうか

次回は、稲田の次に背番号00をつけた藤井秀悟について書きたいと思います

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