ベイスターズ6代目背番号00 藤井秀悟 左腕エースとの下手クソな別れ方


「左腕エースとの下手くそな別れ」

2011年オフ
1993年より親会社がマルハからTBSに変わっても
「横浜ベイスターズ」という名前は捨てなかったチームが
ついに横浜DeNAベイスターズと名前が変わった

企業名が入っていないことに誇りを持っていたファンにとっては寂しさもあったが
この時は新規の親会社が現れるのか
また新しく買ってくれる球団は横浜に残ってくれるのだろうかという心配で
新しい親会社DeNAが横浜に残ると事を明言した安堵で

『企業名など何だろうとどうぞお付けてください』と思ったファンが多かったでしょう

そしてDeNAベイスターズにはGMとして日本ハムで実績のある高田繁が就任
彼の最初の大事な仕事といっても良かったのが
FA移籍が決まった村田修一の人的補償の選択でした

現状投手が巨人の2軍以上に足らないベイスターズにとって
プロテクト外とはいえ巨人から選手を獲得できるチャンスは願ってもなく
ファンの間では若手に伸び悩む福田や野間口あたりを候補に推す声もありました
高田は「先発して7回を投げられる投手を獲得したかった」
ベテラン左腕の藤井秀悟の獲得を発表する

当時プロ通算12年で70勝
波はあるが「はまった時は凄い投球をする」
と高田GMが評価した左腕は自身4球団目となる新天地で2012年のシーズンを迎えました

ヤクルトエースからの転落

藤井秀悟はプロ入り前今治西高校のエースとして活躍
3年時の春の選抜の準々決勝ではプロで巨人、ベイスターズで同僚となる
鶴岡一成擁する神港学園にも延長の末勝利しています

高校卒業後、早稲田大学に進学
6大学で通算24勝をあげ
1999年のドラフト会議でヤクルトスワローズに逆指名で2位指名を受けます

1年目から1軍で31試合に登板、プロ入り初勝利もあげ
2年目には先発として14勝をあげてヤクルトの2001年の優勝にも大きく貢献します
球団も藤井の活躍を評価し、2002年のシーズンから背番号18を与えられます

ところがこの年、日韓ワールドカップを先発予定の1日前に観戦し
風邪をひいて登板を回避するという失態を犯し
温厚の若松監督を怒らせるという報道がスポーツ紙をにぎわせてしまいました

この年二桁勝利をあげるも翌年は怪我で離脱
2001年の藤井の投球を知っているものからすれば物足りないシーズンが続き
2008年1月に日本ハムとの3対3のトレードの一人として移籍します
日本ハム時代は主に先発6番手として働くも思ったような成績は残せないものの

それでも2009年の巨人との日本シリーズでは第5戦に先発し7回無失点と好投をみせます
しかし、その数日後
球団から来季の構想外であることを告げられ藤井は移籍を前提としたFA宣言をします
所属先がなかなか決まらない状況にありましたが
日本シリーズで1か月前に投げた相手の巨人への移籍が決まります
移籍初年度は7勝をあげるも翌年はたった1試合のみの登板に終わりオフには大減俸
そして、人的補償でのベイスターズ移籍となりました

ベイスターズで再び輝く

ベイスターズ移籍1年目は、チームの先発陣が投壊
シーズン半ばから先発としてチャンスを与えられて7勝をマーク
日本記録となる106試合連続完投なしの日本記録も作ります
(2013年に107試合まで伸ばす)

翌年は三浦の不調などもありナゴヤドームでの開幕戦に登板
実に2002年以来11年ぶりの開幕投手でした
そしてこの年は、4月の阪神戦で完投勝利
連続無完投の記録はここで途絶えます

7月には同じ阪神戦で11年ぶりの完封勝利で2001年の14勝を彷彿する活躍をみせました
しかし、元々故障しやすい藤井の左ひじは久しぶりの完投、完封とは比例するように
疲労がたまり
ついに8月24日の巨人戦で1回途中降板自身のブログで故障したことを発表
その時のブログから伝わる悲壮感は何とも言えないものでした
しかし、翌シーズン怪我の具合は順調で開幕ローテも期待されました
ただ首脳陣は三嶋、井納といった若手の成長もあり
藤井はファームでの待機を命じられます
2014年ファームで藤井は絶好調でした
怪我をしたことを忘れさせてくれるような好投が続き

中畑監督も1軍での度重なる1軍での若手投手の炎上に
「下で藤井がいいと聞いてるし、そろそろ入れ替えも考える」というほどでした
ところが、6月にまた故障
軽度の軽いものだったらしいのですが本人と球団の怪我に対する認識の違いもあり
藤井はファームでの登板を機会も与えられずその悔しい心境をブログで吐露
球団と藤井の溝は広がり、オフに戦力外通告
トライアウトを受けるも藤井を獲得する球団はなく、引退を決めます

野球小僧藤井秀悟の終わらない旅

ヤクルト2年目の鮮烈な記憶があるだけに
どこか寂しさも感じた藤井のプロ14年間でした
藤井が最後に輝いたと言える2013年シーズン
横浜スタジアムでの完投勝利、ライトスタンドで見ていました
8回を藤井が抑えて9回誰がでるんだろう~と思った時に9回のマウンドに向かう藤井の姿は
かっこ良さ半分、もう半分は「おいおい、まさか」と笑ってしまいました

そして怪我をした8月24日の巨人戦
この試合もスタジアムにいました
今思えば彼が横浜スタジアムの公式戦で投げた最後の登板でした

2012年、2013年と彼があげた13勝の勝ち星は
ベイスターズがそれまで断トツ最下位で参加できなかったペナントレースに
ようやく参加できるようになったことの証とも言える大事な勝ち星でした

藤井が引退を決めた2014年
もっとうまいこと彼と球団が歩みよるいい形で
藤井を贈ることができなかったのかと寂しさを感じますね

そしてこの藤井以上の寂しさを我々は同じ年に金城に感じ

そして今年は多村に感じてしまうのでしょうか…

『4522敗の記憶』で村瀬秀信氏が言う
-この球団が功労者に対しての扱いが絶望的に下手クソだった

この伝統芸能は親会社が変わった今も続いていることを
藤井秀悟のことを書きながら思います
現在巨人の打線を支える打撃投手として藤井は今日も投げています

次回は背番号00選手紹介も最後
2015年シーズン背番号00をつけた東野峻について書きたいと思います

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  1. >みかんさん
    コメントありがとうございます
    いやいや、つたない文章のなのに読んでいただいて恐縮しております
    今治西のOBの方なんですね
    藤井投手の躍動感のあるフォームは私も好きでした
    昨年1度でいいから藤井投手を1軍のマウンドに上げていれば、絶対にチームの力になったと思うんですが残念な起用でした
    藤井投手はいまや巨人軍にはなくてはならない生きた球を投げる打撃投手だとは思うんですが
    近い将来指導者として輝く日が来るでしょうね
    また、ブログを覗きに来てください

  2. こんなに丁寧に藤井くんのこと取り上げていただき、ありがとうございました。懐かしく、嬉しく拝見しました。
    今治西OG&ベイスターズファンの私に取って、藤井秀悟がやってきた! というのは本当に幸せなニュースで、2013年の輝きは一生忘れません。去年の戦力外、どれだけ、悔し涙を流したか…。
    どうして、功労者といえるベテランをこんな追い出し方をするのか。ノリさんどうしているのか、色々気になります。多村さんは落ち着くところに落ち着いてほしいと切実に願っています。

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