背番号5石井琢朗の野球の故郷は…


あの日、男は赤いユニフォームを脱いだ

2016年10月24日マツダスタジアム
広島カープ田中がベイスターズ山崎康晃が空振り三振に抑えた瞬間
彼はその光景をどう見たのだろうか
かつて自身も所属していたチームが19年ぶりに日本シリーズに出場が決まった瞬間を
彼はどんな思いで見ていたのだろうか
いや
一度死んだ彼に生きる水を
本当の意味で「野球人」としての光を与えてくれた広島カープを離れることが
この敗戦で決まったことに何を感じたのだろうか
碧いユニフォームの選手たちがグランドで喜びを爆発する光景を見ながら
私は冷静にふとそんな思いを抱いてしまった
その男は間違いなく
19年前ベイスターズが日本シリーズに出場する躍進を支えた1人だった
石井琢朗
彼はこの日広島カープのユニフォームを脱いだ

駆け抜けるスタジアムの勇姿を見ていた

ベイスターズ元年の1993年
私は父に「今年はいっぱいハマスタに行くぞ」と言われ
横浜ベイスターズ友の会なる会員証を見せてくれた
その会員証には内野席と外野席のチケットが合わせて10枚近くあった
小学校3年になる私には信じられないようなプレゼントだった
この年私は初めて1年で10試合以上ハマスタに観戦出来た
そして外野席というのを初めて味わったのもこの年だった
基本的にそれまでは内野席が大半だった
外野席では、周囲のファンが選手が打席に立つ度に歌っている
この時初めて選手にはそれぞれ応援歌があると知った
周囲のファンの方が歌うのを必死に耳コピして覚えた最初の応援歌が
「駆け抜けるスタジアム君の勇姿♪」だった
この時背番号0を付けていたため
最後の「石井その手で~♪」の部分は「背番号0♪」だった
そう、私はこの時から背番号0をつけた選手の勇姿を楽しみにしていた
出塁すればすぐに走り、気付けばすぐにホームに還ってくる
サードの守備も抜群
彼がこのチームのホープであった

「僕らが中心になったら優勝します」という有言実行

背番号0はその年盗塁王を獲得しオフに背番号5に変更した
ここから彼の長いストーリーは始まったのかもしれない
背番号は若手のホープから中心選手となり
守備位置もサードからショートに変わりチームの要となった
だからこそ彼は勝利に飢えていた
月刊ベイスターズの、はたやまはっち、こと、やくみつるとの対談でこう言っている
「僕らが中心選手になった時このチームは優勝しますよ」
石井琢朗、波留敏夫、鈴木尚典、進藤達哉、谷繁元信…
この頃の彼ら若手のホープが中心選手になった時
彼は優勝出来るチームになるという自信があったのだろう
彼の予言通り、このチームは彼らが中心選手になった98年
38年ぶりの優勝を達成する、有言実行だった
しかしこの歓喜の後、彼の野球ストーリーは歯車があわなくなっていく

もう一度優勝したい思いが誤解されていく

98年の優勝で誰もがこれから
ベイスターズの黄金時代が始まると思っていた
しかし優勝から数年は98年の貯金で何とかAクラスを保つことが出来たが
その後このチームは間違った方向に落ちて行く
かつての優勝戦士を「不良債権」とし放出
先に名前にあげた進藤が、波留が、谷繁が…このチームを去った
常勝チームが優勝するために血の入れ替えを大胆に行い非情の通告をするのは理解できる
しかし38年に1度しか優勝できないチームが
功労者を高齢者扱いしてチーム追い出したことは
ファンにもこのチームを離れるきっかけを与えてしまったように思う
あの98年とは変わり次第に球場は閑古鳥が鳴く
その中で背番号5はもがいていた
「チームのために」「もう一度優勝するために」
その思いで野球をやればやるほど誤解を生み
歯車が合わなくなる
監督や首脳陣と意見交換をしたかっただけなのに
「監督監禁の吊るしあげ」と言われ
球団に強くして欲しいと要望を言えば
「あいつは、問題児」と烙印を押される
後輩に意識の面を指導すれば
「あいつは派閥を作っている」と影で言われる
『もう一度優勝したいだけ』
彼のそんな純粋な気持ちを理解してくれるあの頃の同士は
もうこのチームにはほとんどいなかった
そして、彼もこのチームを去ることに成る
引退するまでいると思った横浜で戦力外
彼は野球人生の最後の死に場所を求めた

生きる場所を求めた広島

彼は広島に移籍した
そこで彼は純粋に野球を楽しめたという
それは98年以後10年間彼が一度も楽しめなかったという『野球』を
少年時代のように楽しめたという
ベイスターズ時代のような勘違いも誤解もされない
彼自身も横浜の時にあったプライドもない
心から野球をプレーした
ここでの4年間は彼に生きる場所を与えた
広島は彼に死に場所でなく生きる『水』や『光』を与えた

引退を赤いユニフォームで見た寂しさ

そして2012年10月8日
98年に甲子園で38年ぶりの優勝を味わったの同じ日
彼はこの横浜スタジアムで現役最後の打席を迎える
かつて小学校3年の時彼の勇姿を見た同じライトスタンドで
私は彼の最後の勇姿を見た
あの時私が耳コピで覚えた同じ応援歌を歌い
彼の引退を見た
しかしあの頃とは違い彼は赤いユニフォームを着ていた
その寂しさを多くのベイスターズファンは感じただろう

そして彼はまだ故郷に帰ってこない

彼は現役引退後
ユニフォームを脱ぐことなく広島カープでコーチに就任
そして見事広島カープを常勝球団に導いた
彼が横浜でキャリアを終えていれば間違いなく
味わえなかったものを赤いユニフォームで味わっている
また打撃コーチに就任してから
それまで投高打低と言われたカープは生まれ変わり
チーム打撃が驚異的に向上する
これは彼の指導の賜物以外なかった

彼は優秀な指導者となった
彼のキャリアを考えればベイスターズで終わることなく
カープに移籍したことは大成功だったと言えるだろう

彼の指導力は他球団にも買われ
今シーズンからヤクルトで打撃コーチになる
引く手数多な指導者だ

しかし彼は野球の故郷の
ベイスターズとは距離をとる
10年たってもまだ帰ってこない

そこに寂しさや悔しさを感じるのは私だけではないだろう

レジェンドマッチで佐伯や谷繁が横浜に帰ってきたことに大きな感慨を持って感動した
佐伯の「I☆YOKOHAMA」に涙が溢れた
98年戦士はやはり特別だ

そう思うのはファンだけでなく若き選手も同じ

「石井琢朗さんの大ファンです」
そう言って彼の無き後の遊撃手を守る若き背番号5が
このチームにはいる

だからこそ、彼に帰ってきて欲しい

今のベイスターズこそ
現役時代
彼が求めていた本気で優勝を狙う強いチームだと思うから

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関連記事

  1. お久しぶりです。
    しばらく見ていない間に御ブログが更新されていることに気づき、
    タイトルに導かれてきました。琢朗愛が随所に感じられる素晴らしい記事でした。

    私は今でも一塁へのヘッドスライディングが脳裏をよぎります。
    その番号を継承した倉本にも貪欲に頑張ってほしいですね。

    1. コメントありがとうございます
      お久しぶりです、今年もよろしくお願いいたします!
      キャンプも始まるので再開いたしました
      石井琢朗のDNAは確実にこのチームの遊撃手倉本につながっていますね
      少しでも先代の背番号5に近づいてほしいです

  2. 快星会さんの記事は、いつも思いますがただのブログではなくよく調べられており、ご本人目指している通りに
    新聞、雑誌記事(Nomberのような)を見ているかのように思います。
    ベイスターズ愛、啄朗愛がとても伝わるいい記事ですね。
    私のような、にわかファンにもよく分かる、伝わる記事だと常日頃思っております。
    そんないいブログに、私のようなコメントしていいものかと思いますが、すっかり常連気取りで書かせていただいておりますがこれも快星会さんブログのいいところですね。

    1. コメントありがとうございます
      最大級のお褒めの言葉です、ありがとうございます
      そう言っていただけると嬉しいです!もちろん、そんなに雑誌のライターさんには足元に及びませんが…
      琢朗への思いは強い分、少し気持ちの入った記事になりました
      いやいや、とらたろうさんのコメントにはいつも参考になることばかりで、また連日コメントいただき本当にこのブログのコメンテーターとして盛り上げていただいてます
      これからもお手隙の時は助けてください
      今那覇です、今週は沖縄でキャンプ視察の予定です

  3. 私が就職したのが、栃木で1985年です。
    丁度、石井忠徳(琢朗)が足利工業率いて甲子園に出て、今の人は知らないかもしれないドラフト外で入団しましたからめちゃくちゃ注目してました。
    小柄な投手が1年目から勝利をあげた時は期待感一杯になりましたが、突如の打者転向時はそれこそ大丈夫かなと心配しました。
    後の活躍は私が言わずとしれたことですね!
    球団も同じメンバーだけでは向上しないし、色々な変革が必要ですが、屋鋪や石井琢朗、金城が去った時は
    さすがにファンやめようかと思いましたがやはりやめられず、今や貴殿のブログでは小姑的な存在になってます!(笑)
    懐かしいブログありがとう。

    1. コメントありがとうございます
      石井は確かに栃木の英雄の一人ですね
      私は忠徳時代はほとんど記憶にはないんですが彼は自分自身をしっかり客観的に見れたからこそすぐに野手転向という決断ができたのでしょうね
      今年も小姑的ご意見お願いいたします
      今週は休みをもらって今那覇にいます
      もちろん宜野湾キャンプ視察です!ラミレスに喝を入れてきます笑

  4. ご無沙汰しております。
    今日の記事、本当に良かったです。
    今年は優勝だと騒がれていても、何かもろ手を挙げて浮かれる訳に行かない。 そんな私の心を代弁してして下さったような気がして嬉しかったです。
    DeNAになってチームはすっかり変わり、過去の歴史は途切れてしまった。 それが無ければ、チームが存続出来ていたかどうかもわらないと云う事は理解していても、どこかに琢朗や進藤、谷繁、尚則、波留、佐伯、野村、三浦、五十嵐、島田、秋元らが指導者、フロントの中心になって優勝して欲しいと願う自分がいました。
    しかし、それはもう無理なんでしょう。 ならば、筒香ら今の現役選手が新しい栄光の歴史を築いて欲しいと願う今日この頃です。

    これからも、ベイスターズ愛が溢れるブログを期待しています。
     

    1. コメントありがとうございます
      お久しぶりです、今年もよろしくお願いいたします
      チームが強くなり優勝を狙える状態になっているにもかかわらず、何か物足りなさを感じるのはわかりますね
      レジェンドマッチや復刻グッズと過去の歴史にリスペクトを抱いているようにも見える一方、あの頃のOBをコーチには呼ばない今のチームに寂しさを感じますね
      私は今日も記事にしていますがやはり鈴木尚典が球団の少年野球チームのコーチをやらされ飼い殺されている現状に腹を立てています
      ただ、今ここで戦っている現役の選手が勝つたびにあの98年もしくはそのさらに先の先人たちの歴史が掘り返される(○○年ぶりの…)ことでこのチームの歴史は続いているんだと思うことにしています
      今年も厳しく温かくベイスターズを共に応援しましょう

      1. 鈴木尚典氏の字を誤ってしまいました。 ファンとしてあるまじき行為ですね。 ごめんなさい。

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