3代目 背番号0 ミツル(田中充) 古都のゴジラのプロ野球


1997年

このころからベイスターズファンの中で言われていたのが

和声大砲の育成だった

 97年当時ベイスターズの野手の主力には

1、2番に波留、石井がいて

3番にはこの年首位打者を獲得した鈴木尚典がいた

佐伯など中堅に年齢的に入る強打者もいたが

 いわゆる4番で30発を期待できるような次世代の大砲がいなかった

ファームにはその役目を期待されながら伸び悩む紀田彰一

この年春先に1軍で活躍するも怪我で離脱した多村仁などはいたが

 やはり大砲になりうる素材を集めることが必要な年であった

そこで球団はこの年

西宮商業高校で「古都のゴジラ」の異名を持つ

田中充をドラフト4位で指名した

 田中充は、球団から次世代の大砲として期待され

98年から背番号が7に代わる鈴木尚典の後釜として

背番号51を与えられる

 ルーキーの98年は

プロの生きた球に苦労しファームでもなかなか出場機会にめぐまれない

高校時代に魅せていた一発を秘めるパワーとバットコントロールは鳴りを潜め

三振と凡打の山

そこに度重なる怪我もあり、プロ入団4年間は1軍での出場はない

 

しかし、5年目は開幕1軍切符を手に入れ

4月2日の阪神戦では代打としてプロ初出場

1ヶ月後の5月4日には巨人のエース上原からプロ入り初安打を放つ

 

ただ、選球眼の悪さと追い込まれてからの粘りのない三振が目立ち

このシーズンはわずか17試合の出場で終わる

それでもファームでは走・攻・守の総合力では若手でナンバー1で

クリーンアップを任されていた

 ところが田中充としのぎを削っていたライバルの選手たちも

徐徐に力をつける

 古木、村田、内川、吉村といった

田中充の下の世代の選手たちが1軍で結果を出すようになり、さらに

鈴木尚典から背番号51に戻したいと球団へ要望すると

田中充は背番号51をはく奪され、07年より背番号0

登録名を「ミツル」と変更する

 心機一転、文字通りゼロからのスタートを切ったミツルだったが

ベイスターズには既に多くの将来有望な若手の大砲がおり

28歳になるミツルに球団は戦力外通告を宣告し引退した

 1軍ではわずか2安打しか残せなかったミツルだが

ファームでは毎試合のように出場し

横須賀のファンに和製大砲の期待を持たせてくれた

 現在は関西外国語大学の野球部コーチを務めてるようだが

自分がプロで打てなかった3本目以降のヒットを教え子たちに託し

今も精力的な指導を続けている

 次回はミツルの翌年背番号0をつける小関について紹介したいと思います

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