4代目 背番号0 小関竜也 98年新人王最後の地は、初めての日シリの場へ


1998年の日本シリーズ

横浜ベイスターズは38年ぶりの日本シリーズを
西武ライオンズと戦っていました

この年の西武の打線は
松井稼、大友進、高木大と足も使えアベレージも高い選手が揃っていました
その中で98年パリーグ新人王に輝いた選手がいました

小関竜也
104試合に出場し打率283を残しました
しかし、小関はこの年4年目
4年目での新人王獲得はパリーグ史上初めての出来事でした

その小関が10年後背番号0をつけて引退したのが横浜ベイスターズでした

今回は小関竜也について書いていきます

▼苦労人小関の選んだいばらの道
小関は国学院栃木高校で、エースで4番として活躍
この時チームには後にロッテで活躍する渡辺俊介が控え投手としていました

甲子園での出場がなかった小関は
高校卒業後慶応大学への進学を目指し推薦入試を受けるも不合格

進学は諦めますが
西武ライオンズが投手小関を評価しドラフト2位で94年指名します
投手としてプロで大成する自信がなかった小関は
プロでは野手として勝負することを誓い
1年目から野手に転向します

小関が自信を持っていた打撃はプロではなかなか通用しません
それでも当時の西武は名将森が退団し東尾新監督の下
首脳陣も選手も世代交代の過渡期
西武1強だったパリーグも、イチローの登場でオリックスの黄金時代を迎えていました

小関はこの世代交代の波の中チャンスをもらい98年に才能が開花します
この年初めて開幕1軍切符を手に入れると6月に怪我で1カ月戦線離脱するも
常に2番打者として首脳陣にがまん強く起用されて104試合に出場しました

この年、パリーグは前半戦好調だった日本ハムが後半戦以降失速
前半戦630あった勝率は、後半戦は314
今年のベイスターズも笑えない世紀の大失速でした

そのおかげで、前半戦小関や大友を我慢強く起用した西武が優勝し
日本シリーズでベイスターズと戦うことになりました

小関はこのシリーズ6戦全てスタメンで出場しますが
6試合で4安打に終わり、チームを日本一に導くことができませんでした

しかし、新人王にも輝きプロでの大きな自信を持った小関は
翌99年には初めて規定打席に到達し、レギュラーを確固たるものとし
2002年には打率314でチームを98年以来の優勝に導きました

この頃から小関は大きな夢を抱くようになりました
それがメジャー挑戦です


▼メジャー挑戦失敗と巨人時代

翌2003年もレギュラーとして113試合に出場するも
04年からは赤田など若手とのレギュラー争いに敗れ
徐徐に控えの機会が増え05年のオフ、メジャー挑戦を
球団に要望し自由契約となります

マイナー契約でブルワーズに入団
オープン戦では守備と足を評価され
夢の地での飛躍が期待せれましたが
チームの編成の問題で開幕直後にチームを退団

行く先のなくなっていた小関を巨人が入団テストの末、獲得します

巨人に入団した小関は
主に左の代打として活躍
56試合に出場します
この年には千葉マリンでホームランを打った李スンヨプの時
ランナーであった小関が3塁ベースを踏み忘れるという珍事がありましたが
翌日の新聞では小関がしっかり3塁ベースと踏んでいる写真が掲載され
審判の誤審問題として物議をよびました

しかし、そんな小関も07年より復帰した原監督の下では出場機会が減り
オフに戦力外通告を受けます

▼ベイスターズの小関
戦力外通告を受けた小関は、現役続行を希望しトライアウトを受験
ここでホームランを打ち、持ち前のバットコントロールを披露
即日ベイスターズは小関の獲得を決め、入団
98年の新人王から10年後
日本シリーズを戦った横浜でのシーズンを迎えました
背番号はです

08年のベイスターズは左の外野手が鈴木尚典の衰えでおらず
小関はキャンプ時から戦力として期待され
オープン戦でも結果を出して
この年の開幕戦でスタメンを奪います

開幕から小関は
4試合連続のマルチヒットを放つなど結果を残し久々に
順風満帆なスタートを切りました

ところが、5月に入ると開幕直後の打撃はなりを潜め
不振に陥り内川、吉村といった若手に遅れをとり
左の代打として控えるようになり
最終的に8月にファーム落ち
そのままオフに戦力外通告を受けました

その後再びメジャー挑戦を表明し入団テストを受けるも不合格に終わり
現役を引退しました


▼死に場所を求めて…メジャー再挑戦

小関のベイスターズ時代の思い出というと
私のつたない記憶を辿ってもなかなか見つかりませんが
トライアウトで小関の獲得を決めた時はそれなりの期待感がありました
我々が歓喜の瞬間にたちあった98年の新人王
足は速く、守備も巧い小関のあの姿を期待した覚えがあります

残念ながらわずか1年でのベイスターズ在籍期間でしたが
小関はこの08年守備では無失策と期待に応えてくれているんですよね

横浜退団後、死に場所を求めるかのようにメジャー挑戦
メジャーに死に場所を求めた選手には
江夏豊や水野雄、桑田真澄などがいますが
小関も夢の実現以上にプロ野球選手としての死に場所
野球の母国に求めたんだとおもいます

そんな小関の経験は現在も巨人のコーチとして伝えられています

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