初代背番号1 進藤達哉 後編 ~10月8日甲子園、38年ぶりの優勝打~


前回の進藤達哉前篇の記事の後編です

1998年10月8日20時24分 甲子園

7番谷繁が死球で歩きツーアウト満塁となった

打席に向かう進藤に監督の権藤博が声をかける

『代打かな』

ここまで2打数0安打エラーで出塁はあるしかし

代打には中根や新井幸雄がいる

「代打ですか?」

ベンチから出てきた権藤より先に進藤は声をかけた

それを聞いた権藤は怒ったかのように

「行け!振り回せ!お前が決めろ!」と言う

『腹をくくるしかないな』そう心に語りかけ

進藤は打席に入った

マウンドは阪神伊藤アツノリ

初球は大きく外に外れる
2球目はシュート回転のボールがインコースに
きわどい球だがボール判定
3球目は打つ気なくインコースの球を見てストライク
そして4球目のスライダーが大きく外れる

5球目、伊藤のストレートは甘く入る
しかし、進藤は手が出ない

『今の球だったか』

一瞬進藤の顔に悔しさがでる

思えば97年の頭部に死球を受けて以降

進藤はインコースのボールを捌ききれなくなっていた

『もう甘い球は来ないな』

スイング軽くバットも軽くリストを強くバットを振り切る進藤は

追い込まれると打率は下がるこの状況をテレビで見て

『今日の優勝はないかな…』

中学2年の私は中間テスト勉強の準備に入った

▼頭部死球からの復活、初のゴールデングラブ

1997年進藤は5月下旬まで打率.333と好調だった
しかし5月28日のヤクルト戦で吉井から頭部にデッドボールを受けて戦線離脱

その怪我で6月後半に復帰するも
ボール対する恐怖心からかインコースの球を全く捌けなくなってしまった
結局打率は春先から1割以上、下がる打率.236で終わった
それでも守備がようやく評価されて初のゴールデングラブに97年輝く

▼優勝争う中で怪我をおしてチームを救う進藤の守と打

98年監督は権藤博が就任する

権藤は、送りバントをしない放任野球、自主性に任せる攻撃をモットーに

好き勝手野手に攻撃を任せていた

春先に権藤が悩んだのが不動の1番波留の不在だった

脱税事件に関与した波留の穴を仕方がなく

琢朗を1番に置くことで埋め、そして琢朗の2番を進藤に任せた

進藤は前回紹介した『月刊ホエールズ』のインタビューで

-「僕の場合、周りから見たら2番に適しているのかもしれないが、実は不器用ですから。2番を任されるのはちょっとしんどいですね。下位打線で自由に打ちたいです」

 

6年前の自身の発言を証明したような試合だったのが

1998年5月6日の東京ドーム

2進藤は点ビハインドの7回無死1、2塁のチャンスで

 

送りバントを失敗し、同点のチャンスを潰している

そして次の打席
9回表無死1、2塁と同じ場面で回ってきた
ここで進藤は自身のミスを救う逆転スリーランを打っている
権藤自身7回のバントミスは

「自分の采配ミス。進藤(が打つ)をもっと信じるべきだった」

この試合以降進藤は2番でもバントのサインを出されることはなくなった
5月に波留の復帰で7番に戻り自由に打てるようになった進藤は
97年の死球の恐怖も徐徐になくなる
しかし、そんな進藤を再び悪夢が襲う
7月2日の広島戦で今度は左腕に死球を受け怪我をする
これもインコースの球を捌きにいった結果だった…
左腕が腫れ練習すらできなかった進藤
それでも権藤は進藤をファームに落とさない

「あいつの守りは一級品。守りだけで1億円プレイヤーだよ。勝負を分ける場面であいつがチームを救うよ」
練習もできない進藤をベンチに戦力として置く
その進藤が権藤の予言通りチームを救う
7月6日まで防御率0.00 1回もセーブ失敗がなかった佐々木は
7月7日大阪ドームで阪神矢野にサヨナラタイムリーツーベースを打たれ負ける

そして翌日の7月8日大阪ドーム
9回1点リードで迎え佐々木は再びマウンドに立つ
しかし、1死2塁
前日逆転サヨナラタイムリーを打たれた矢野を迎える
矢野の打球は三遊間へ
その打球を進藤は痛む左腕を投げだしてのダイビングキャッチ
そしてファーストにすばやく送球しアウトにとる
抜けて同点に追いつかれれば大魔神佐々木伝説は終わり

そのまま連敗が続きチームは38年ぶりの優勝を逃していたかもしれない
事実、この試合勝利したベイスターズはここから10連勝をする
進藤は間違いなく守備で1億円もらっていい選手だった

 

▼10月8日のタイムリー

その数日後には右肩を痛める

復帰後今度はすぐに右ひざを痛めるなど

夏は戦線離脱余儀なくされ

控えの万永にスタメンの座を譲ることもあったが

参考記事;2代目背番号0万永貴司

8月中旬にはスタメンに戻ってきた

そして冒頭の10月8日の甲子園

数学の勉強をいやいやしようとした私はラジオのニッポン放送をつけた

 

トランジスタラジオから興奮するアナウンサーの声が聞こえる

「進藤打ったああああ、3塁ランナーローズがホームイン。
2塁から佐伯もガッツポーズをしてホームイン!!!
逆転!38年ぶりの優勝へ進藤が冷静にタイムリーを放ちました」

低めの難しい球をうまく拾って1、2塁間にタイムリー

思えば93年新生ベイスターズの勝利を

逆転満塁サヨナラホームランで決めた進藤は

こういう場面で持っている男だった
そう、進藤はこの時この瞬間

間違いなくベイスターズで人気ストップ高状態だったはずだ

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▼FA宣言そして…

ベイスターズ開幕勝利のサヨナラ弾

38年ぶりの優勝打

ベイスターズ史に名前を残した進藤は

99年も98年、97年に続きゴールデングラブを獲得した

しかし、そのオフ

セカンドに挑戦したい進藤は

球団との契約更改の席でその希望を話すも受け入れられず

また球団は広島からFAで江藤を獲得することがほぼ決まっていたために

FA宣言する進藤に

1年契約の現状維持しか年俸提示を行わず

進藤は寂しい顔をしながらベイスターズを去ると思っていた…

ところが

セカンドを希望する進藤と獲得に手をあげサードとして期待した

オリックスとの交渉が不調に終わり

進藤は「サードならベイスターズでいい」

とあっさりベイスターズに宣言残留を決めた

この朗報に監督権藤も

「彼(進藤)は1度もレギュラー争いに敗れたことがないんだから、
誰が来てもスタメンを実力で獲るだろう」

と喜びのコメントを出す

ところがほぼ横浜移籍が決まっていた江藤が
進藤の残留と巨人長嶋監督の欲しい欲しい病による多額の年俸に目がくらみ
讀賣への移籍を土壇場で決めてしまう
↑これについて進藤が残留したから巨人に移籍したと江藤は言うが私はそれは都合のいい言い訳と見ている

結局2000年3月31日の開幕戦

昨オフ何事もなかったように進藤はスタメンで出場する

この試合序盤ベイスターズがリードしていたものの

終盤阪神に追いつかれ延長戦に入った

10回表マウンドにはルーキーの木塚が立つ

緊張して足が震える木塚に進藤が声をかける

-進藤さんに『何でお前がこの場面でお前がでてきたかわかるか?』って聞かれたんです

『わかりません』って答えると『それでいいんだ。お前は怖いもの知らずで目一杯いけばいい。後は任せろ』と言ってくれた-略
≪4522敗の記憶-村瀬秀信≫より

そして木塚が抑えたこの試合で進藤はサヨナラタイムリーを打つ

93年ベイスターズ初めての勝利をサヨナラ弾で勝利に導いた男は

20世紀最後のベイスターズの開幕戦もサヨナラ勝利で決めた

▼オリックスへ1年越しの移籍

2000年オフベイスターズの監督は

権藤博から森マサアキに変わる

権藤の放任野球を一掃し、

徹底的な管理野球で勝ちにいきたかった森は選手の大改革を敢行

西武監督時代から細かい野球をやれて

守備にも安定感があり敵ながら評価していた

オリックス小川博文を獲得したかったために

進藤を駒にオリックスと3対3のトレード

(横浜;進藤・戸叶・新井潔⇔オリックス;小川博文・杉本友・前田和)

結局1年遅れて進藤はオリックスに移籍する

背番号は福本豊以降永久欠番扱いだった背番号7をつけるほど

オリックスの待遇は高かった

セカンドのレギュラーとして

移籍1年目に115試合

2年目には121試合に出場する

3年目には近鉄山本省吾から通算100本塁打も達成したが、この年で現役を引退した

 

 

▼引退後古巣復帰

引退後は山下大輔監督の下、守備走塁コーチとして古巣に復帰

古木、村田、内川といった内野守備に苦労していた選手を

あの手この手で指導

 

横浜の選手の珍プレー集を上映し選手に守備の向上を図ったりもした

しかし球団は進藤をわずか3年でユニフォームを脱がせてスカウトに転身させ

それからまもなく球団からも追い出してしまう

地元富山サンダバーズでコーチと監督を兼任し現場指導を経験

2014年から独立リーグで指導する人間を評価する高田GMが
ベイスターズで再び指導者として呼び戻した

▼10月8日の責任を今こそ進藤はとれ

あの10月8日の進藤の1打で深夜まで優勝特番を見た

私の中間テストは散々に終わった

おかげで数学の因数分解は未だによくわからない

あの進藤の1打の興奮を忘れられず

30になった私はいまだに低迷の続くベイスターズを応援している

私以外にも多くのファンが

あの進藤の1打の興奮を忘れられず

今も勝てる試合の少ないハマスタに応援に行っている

 

進藤にはそんなファンをもう一度興奮させる責任がある

新監督が決まらないなら

進藤は責任を持ってチームを率いて優勝させろ

そして今度は選手に言って欲しい

「行け!振り回せ!」

ここまで読んでいただきありがとうございます

次回は背番号1を1年つけた波留敏夫の2001年時代について書きます

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コメント一覧

  1. こんばんは
    進藤愛に溢れてて読み入ってしまいました。
    確かベイスターズ元年の1993年は開幕からいきなり5連敗スタートで迎えた6試合目
    待望の初勝利をもたらしたのも進藤のサヨナラ満塁ホームランでした。
    脅威のパンチ力、絶対的な守備力がありながらも伸び悩んでしまった進藤が何とも歯痒い気分です。

    >これについて進藤が残留したから巨人に移籍したと江藤は言うが私はそれは都合のいい言い訳と見ている

    これは間違いないと思います。
    豊田清の人的補償で西武に移籍した記者会見で「子供の頃から西武ファンだったんです」
    と発言してたと友人から聞きましたw

    東大和市の出身なので本当かも知れませんが、引退後すぐに巨人のコーチで復帰してますからね・・・
    調子のいい男だと思いますw

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