奇跡のリリーバー盛田幸妃が教えてくれたこと


小学校2年生の時だった

野球好きの私になぜか両親はサッカーを習わせた

あまり乗り気でなかったが、もらったユニフォームの背番号を見て

テンションが上がったのを覚えている

背番号15

大洋の盛田と同じだ」

1992年

私が完全に大洋ファンになっていた頃

大洋ホエールズで新ヒーローが誕生していた

盛田幸妃  背番号15

当時長いイニングを投げられる先発投手が少なかったホエールズは

リリーフ陣の充実を計った

前年までイマイチ伸び悩んでいた盛田を

監督代行の江尻がリリーフとして起用

遠藤の怪我で前年より抑えに回っていた

佐々木にまだ安定感がなかっただけに

盛田のリリーフ転向は試合の流れを計算しやすくした

時には盛田一人で7回から3イニングを任されることもあった

結果的に46試合リリーフとして登板した男は

131イニングを投げ規定投球回に達し最優秀防御率を獲得する

またリリーフでありながら14勝をあげた

しかし、翌年キャンプで右ひざ靭帯を損傷

前半戦を棒に振る

翌94年は100勝100セーブをあげた斎藤明夫の背番号17を背負い

佐々木の怪我もありストッパーとして起用される

この年盛田にセーブ王をとらせるために

シーズン途中から復帰した佐々木が4回から登板したこともあり

「何で俺が盛田の前で投げなきゃいけないんだよ」と宿舎で

佐々木が叫んだというエピソードがある

その後96年に先発に転向

しかし、その頃には92年のような切れのあるシュートに

繊細なコントロールが効かなくなっていた

内角にビーンボールのように

抉るシュートに落合は

「盛田の顔すら見たくない」と言った

このエピソードは落合が盛田を苦手にしていたものとして

紹介されるが

落合は半ば盛田のコントロールの悪さに

軽蔑していたところもあったんだと思う

盛田のシュートは

明らかに92年のあおれとは違っていた

それでもプライドが高い盛田は

横浜の優勝のため投げ続けていた

しかし優勝が目前だった97年のシーズンを終えた盛田は

オフにトレードを通告される

盛田は後に著書で球団に大きな怒りを感じたという

球団はこの年の開幕投手をあっさり控えの外野手中根との交換で放出したのだから

この盛田のトレードをかつて

ダブルストッパーで共にチームを支えた佐々木は

契約更改の場で抗議する

盛田はその姿に涙を流したという

近鉄でリリーフとしてもう一度盛田は輝きを取り戻す

往年の高速シュートは、短いイニングで再び息を吹き返す

初めてみるこの魔球にパリーグの打者は歯が立たない

しかし、その盛田に病魔が襲う

脳腫瘍がみつかったのだ

プロ野球選手の脳腫瘍と聞けば思い出されるのは

広島カープの炎のストッパー津田恒美

彼は懸命な闘病生活の末、亡くなっている

津田の死から6年…

奇しくも同じリリーフ投手が同じ病気を患ってしまった

また、盛田は少年時代に弟を同じ脳腫瘍で亡くしている

死を覚悟するなというのが無理な話だ

そして皮肉なことに盛田に脳腫瘍が見つかった頃

彼が血を吐こうと肩が痛かろうと何試合、何連投しても

上位に浮上できなかった古巣横浜ベイスターズは

優勝争いの真っ最中だった

盛田は手術を終え、苦しいリハビリに耐える病室で

かつての仲間達の歓喜の瞬間を目にした

失意の盛田がこの光景をどう見たか

38年ぶりの歓喜に沸いていた我々ファンには想像すらできない

それでも、誰よりも負けず嫌いでプライドの高かった盛田は

懸命のリハビリの末、津田恒美が夢半ばで立てなかった

マウンドに再び立つことができた

そして古巣ベイスターズが低迷しはじめた01年

オールスターにファン投票で出場

この時多くのベイスターズファンが彼に投票したのは想像に難くないだろう

引退後も

闘病生活を強いられた盛田だが

時折解説でベイスターズを辛口で批評するのを聞くと

病気は完治したような錯覚に我々も陥ってしまっていた

しかし、

彼は引退後も病魔という相手と戦っていた

負ければ次がない闘病というマウンドに立ち続けていたのだ

そこに現役の時のような

大勢のファンはもちろんいない

それでも、戦い続けてきたのだ

今の彼にファンは涙より現役時代に送った

万感の拍手を送る方がふさわしいのかもしれない

サッカーの背番号15のユニフォームをもらい

「盛田と同じだ」と喜んだ少年は

何事もなく順調に成長し30を過ぎた

何年か前ある番組で脳腫瘍になってから

平凡だと思っている日々を大事に生きることの大切さに

気付いたと盛田が話しているのを聞いた

何事もなく順調に我々が成長し生きていることこそ

奇跡と呼ぶのに相応しいことなのかもしれない

奇跡のリリーバーが教えてくれたように

平凡な日々を生かされている奇跡を

我々はもっと大切にしないといけない

盛田幸妃さんのご冥福をお祈りします

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  1. >QuWA田ベイスけさん
    コメントありがとうございます
    盛田の強気なピッチングを今真似できる投手がいるんでしょうか
    山口のように盛田以上のストレートを持ちながらチキンな性格で勝てない投手を見ていると
    命がけでマウンドに立った選手に失礼な気がします

    健康であればベイスターズのコーチをやっていたであろう人材なだけに残念でなりません

  2. 実は私も こうき なんです
    当時その名前があまり見受けられなかったんで親近感を覚え 応援してました
    おっしゃる通り 平松クラスの鋭いシュートと強気なピッチングは 憎きジャイアンツを震え上がらせました
    あの頃の戦闘的なピッチングを 是非今の若いチキンバッテリー陣に見せてやりたい
    で 攻める って事の意味を教えてやりたい ホント
    盛田氏のご冥福を祈ります

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