3代目背番号1 金城龍彦 ミスターベイスターズの寂しい引退 


この記事は歴代ベイスターズ選手紹介背番号1です

ベイスターズという球団はいつまでもこんなことを続けるのだろう

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昨年このようなニュースが我々ファンに飛び込んできた時
ビックリや悲しさより
「またか…」という言葉を吐いた方が多かったはずだ
そして金城は今年、讀賣ジャイアンツのユニフォームで引退を決めた
ミスターベイスターズでありながら、ベイスターズで引退できなかった金城
今回の歴代ベイスターズ選手紹介~背番号1~は金城龍彦です

▼ベイスターズ入団~首位打者そして外野手転向の背番号37・2時代

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金城は、住友金属から98年のドラフトで5位指名を受けてベイスターズに入団します
ストレートは常時140キロ、カーブ・スライダーにも切れがあり
高校ではエース松井稼頭央擁するPL学園に完投勝利をし
甲子園にチームを導いた実績がありました

ベイスターズでも、投手として大きな期待がかかりましたが
本人は、内野手としてプロで勝負することを決断していました
背番号37をつけた新人選手は、1年目からプロで野手として苦労しますが
(このあたりのエピソードは背番号37歴代選手紹介の時に詳しく書きます)
その苦労が実り、2年目に怪我で離脱した進藤の代わりに
参考記事;初代背番号1 進藤達哉 後編

サードのレギュラーとしてスタメンを勝ち取り
天才的な野性的なセンスが光り
安打を量産
そして気づけば

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首位打者を獲得、新人王も同時に受賞しスター街道を走り始めます

3年目の2001年からはベイスターズの監督は
知将森が就任
金城はサードから外野手への転向を命じられ
背番号も一桁のになり名実共にベイスターズの中心選手になります
参考記事;2代目背番号1 波留敏夫

しかし森野球で
金城が求められたのは
外野手転向だけでなく
送りバントや右打ちの徹底など
金城本来の野性的なバッティングが出来ず
打率は首位打者時代から1割も落とします
(このあたりのエピソードは歴代選手紹介背番号2で書きます)

そして、波留が2001年シーズン途中に移籍したことにも伴い
金城は背番号1をつけ、プロ4年目のシーズンを迎えます

 

▼まさかの1割台から191安打の天才安打製造機へ

森監督から減量を命じられるも、ウェートコントロールがうまくいかずに大幅に痩せてしまい
体のキレがなくなり、さらに森野球で求められる管理野球に対応できずに
111試合に出場するも、打率は.176 本塁打はゼロ
「金城は終わった」「首位打者はフロックだった」
ファンも世間も金城にそんな評価をしはじめていました

27歳となる2003年、ベイスターズには山下大輔が監督に就任
山下はキャンプ前から
「金城には自由に打たせるつもり」
と本来の野性的な打撃に期待します

「僕も若手とはもう言えない。今年は結果をだします」
と誓った金城は言葉通り

2003年は、1番打者として躍動
初回先頭打者本塁打を4度記録
8月13日の阪神戦と同じ16日の広島戦では
1試合左右両打席で本塁打を記録
1シーズンに2度の両打席本塁打の記録はセリーグ初
1番打者らしく盗塁も4個決め
打率は2年ぶりの3割到達の.302
本塁打は16本

オールスターにも初めて出場
首位打者金城の完全復活でした
翌年は強肩を生かし
守備は主にライトを守り
2年連続3割を達成

2005年は
ヤクルト青木がシーズン200安打を達成し
注目を浴びる中
金城も191安打を放ち
打率.324
守備でも好守を魅せ
ゴールデングラブを受賞をしました

そしてベイスターズの背番号1は
セリーグを代表する外野手
いや、日本を代表する選手となります

▼日の丸を背負った正真正銘の日本代表選手
金城は実は在日3世でした
高校時代、在日韓国人チームの1員として韓国の大会に出場
現地の韓国人から心ない言葉を吐き捨てられた過去がありました
2000年に金城は結婚を機に
日本国籍を取得していますが
祖国というものに
複雑な感情があったとは思います

そんな金城は2006年に開催される
WBCの日本代表に選出されます

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日本代表として
金城はイチロー、青木、松中、福留などと共に
世界大会で躍動します

結果、かつて自分を受け入れてもらえなかった韓国にも勝利し
決勝のキューバ戦では
途中出場ながら2度打席に立ちます

そして

 

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金城は、日の丸を背負い、世界制覇に貢献しました

▼金城龍彦は死んだのか…
WBC帰国後のシーズンでは
WBCでオープン戦を経験せず
代表チームのベンチにいたせいか
実戦経験不足でバッティングに迷いが生じ
144試合フル出場するも打率は.268
3年連続で達成していた3割を切ります

翌2007年、2008年と
レギュラーとして140試合近く出場を続けるも
打撃は本来の金城の姿には程遠く打率は2割台

2009年には開幕スタメンを奪われ、控え選手としての出場が多くなり
96試合の出場、打率.208で終わった2010年オフ
08年首位打者を獲得した内川のFAが注目される中
レギュラーとしてもう一度勝負したかった金城もFA宣言します

金城のFAを冷ややかな目でみたファンも多かったはずです
「今年打率2割台のお前が何、FAしてるんだ」

しかし、この当時のベイスターズは親会社がスタメンに口を出し
中心選手は監督室で寝る、ミーティングを聞かない選手達
監督の考えとも思えない謎な偏った選手起用…など
プロ野球球団とは言えないチームでした

さらに08年には石井琢朗・鈴木尚典といったベテランも戦力外を受け
金城にとって同世代の多村や相川もこの球団を去り新天地で躍動していました
この球団で骨を埋めて野球をやる方が
プロとしてはどうかしていたのかもしれません

悩んだ末、FAを宣言したものの
金城に声をかける球団はなく
それがさらに金城のプライドを傷つけ
03年に球界を引退してもつ鍋屋「もつ鍋わたり」を経営していた
元チームメート中野渡進

「他球団からどこからもオファーなかったらかっこ悪いから、もつ鍋わたりからドラフト1位で来てるって会見で言ってもいい?」
「タツはうちのドラフト1位だ。店の酒全部飲んじゃっていいぞ」

同じ年の元同志の温かい声は
彼にとって大きな力になったでしょう
金城はこの直後結局残留を決め
2011年のシーズンを迎えます

実は私はこの時まで金城は特別好きな選手ではありませんでした
それは、天才鈴木尚典の大ファンだった自分には
金城の野性的なヒットを認めたくなかったこと
四球の少なさに不満だったからかもしれません

しかし、私が金城という選手に魅力を感じるようになったのは
この肉体的にも精神的にもボロボロになりながら
がむしゃらに野球をやっていた2011年からの姿を見てからです

▼ベイスターズには、金城がいた
2011年、日本ハムから森本が移籍
内川が移籍したとはいえ
外野手争いは混とんとしていました

そんな中
金城は首位打者を獲得した当時の体重に戻し
開幕から躍動
3番ライトとしてレギュラーを確保し
もう一度野球の楽しさを味わいます

11年当時親会社も変わるかもしれないファンの不安を
忘れさせてくれたのが
ミスターベイスターズ金城の復活でした

DeNAに親会社が変わった2012年からは
監督に就任した中畑清が
金城の野球に直向な姿勢に感心し大きな信頼をよせ
スタメンで出場しない時は代打の1番手として
他の外野陣に元気がない時はスタメンで起用するなど

金城自身、非常にやりがいを感じます
しかし、その年のオフ
球団は契約更改の場で金城に40%ダウンを提示
このブログの以前やっていた
私のブログ(横浜快星会~最下位脱出への交響曲~
※現在アカウント完全に削除済み)

読者の方に「金城の年俸ダウンは妥当か」というアンケートをとり
アンケート結果
←リンク飛びます

6割の方が大幅ダウンは妥当ではないという回答を頂きました

しかし、そのダウンを受け入れ奮起
翌2013年のシーズンは
5月25日のロッテとの交流戦で
100号本塁打を達成
平日にも関わらず5月1日のゴールデンウィークの谷間にデーゲームで
行われた試合でサヨナラ本塁打を記録

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「根性!」とカメラに魅せたガッツポーズはかっこよかったです
そしてこの年打率.291を残した金城は

翌2014年も
代打としても
時にはレギュラーとしても活躍
5月26日の交流戦のオリックス戦
雨中の試合で
少ないお客さんの前で

2年連続となるサヨナラ安打

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実はこの2試合共に私は現地で観戦していました
どちらの試合も終盤までリードしていたのに
継投ミスで追いつかれてしまい
ファン心理としては非常にストレスの溜まる試合であったのですが
金城が全てを振り切ってくれました

この頃の金城は全盛期のような
3割を残す運動能力は
衰えていたかもしれませんが
長年の経験で研ぎ澄まされた集中力
首位打者をとった2000年以上でした

投手のミスターベイスターズが三浦なら

野手のミスターベイスターズは金城でした
金城はベイスターズで引退し、すぐにコーチをやる
ファンは疑いなく信じていました

しかし、金城はこのオフ
FA宣言で巨人に移籍します

▼ベイスターズには、金城はいなかった…
金城が移籍した真相は正直ファンレベルでも意見はわかれます
高田GMが一度引退勧告をしたために
金城が球団を信頼できずに移籍を決断したことが
事の真相であることは間違いありません

ただ、金城は結局金に目が眩んで移籍したとか
同じ年の親友相川が巨人に移籍したからとか
色んなことを考えるファンの方がいますが

どんな理由があるにせよ
ミスターベイスターズをこの球団で
引退させられなかったことだけは確かです

巨人では高橋由伸が監督をするようですが
金城も順当にいけば
いつかベイスターズで監督した可能性もあったでしょう

そんな功労者を気持ちよく残留させられなかった責任は
今の編成にあることだけは間違いありません

ファンサービスを考えることは大事です
人気のある監督を呼ぶことも
有名なタレントに始球式をやらせることも大事です

しかし、ファンから愛された功労者にしかるべき引退の舞台を用意するために
精一杯野球をやらせてあげることも

ファンサービスのひとつのはずです

高橋尚成の引退セレモニーが行われた今年10月2日の横浜スタジアムで
未だに背番号1 KINJOHのユニフォームを着ているファンの方を見た時
より一層そんな思いを抱きました

引退を決めた金城にファンが
「お疲れ様でした」という言える舞台を
どこかで用意して欲しいと心から願います

今回で歴代選手紹介背番号1
は終わります
歴代背番号1選手の中で一番活躍したと思う選手

MVP No1

今回紹介した金城選手にしようと思います

次回からは、背番号2の歴代選手を紹介していきます

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関連記事

  1. >蒙御免(ごめんこ.うむる)さん
    お礼の言葉など頂いては恐縮してしまいます
    嬉しいお言葉ありがとうございます

    金城選手があのような形で引退してしまったのは、誰も幸せに終わらない結末になってしまったような気がしてなりません(本人もファンも)
    DeNAが本当にファンサービスを重視している球団であれば金城選手にしかるべき舞台を整えるべきでしょうね
    メジャーでは引退する功労者に1日現役契約などして引退試合を開催することがありますが、そのようなことをするだけの選手だと思います
    まあ、本当にファンサービスを考える球団であれば金城を放出するようなことはしないんですが…

    また、コメントいただけるように更新します
    ありがとうございました

  2. 記事中でも触れられている、以前のブログの金城選手の大幅減俸の記事にコメントさせていただきました者です。

    この時期に、金城選手のこのような記事を書いていただいて、本当にお礼申します。金城ファンで、巨人移籍について未だ納得のいっていない私には、涙を流さずにこの記事を読むことができませんでした。

    本当に本当に引退試合のようなセレモニーを、DeNAには企画していただきたいです。その義務が、DeNAにはあると思います。

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