ベイスターズ2代目背番号2 波留敏夫 38年後にまた会いましょう


ベイスターズ優勝1998年の立役者

1998年7月15日、横浜スタジアム
6時に試合が始まったこの試合は
まだ9回裏にも関わらず既に時計は10時半を回っていた
ここまで横浜打線は19安打、相手の巨人も20安打を放っている
スコアは12-12

延長に入っても
ここまでで巨人は6人横浜は7人の投手を費やしている
もう投げる投手もいない…

『決めるならこの9回裏しかない』
2死2塁のチャンス…
ここで打席に入る波留はそう心に語り、打席に入った
巨人の外野はサヨナラに備え前身守備を布いている

マウンドにはリリーフに転向した槇原
8回には佐伯にボークで打ち直しになったフォークを
ライトスタンドに運ばれている

追い上げているイケイケの打線と
追い詰められた槇原…

勝負は波留が打席に入る前から既についていた

波留が槇原から打った打球は
センター松井の頭を越え、サヨナラタイムリーになる

この年の波留は前年の脱税事件で出場停止処分を受け
自業自得とは言え
苦しいスタートを切っていた…

98年、ベイスターズの歴史上一番といってもいい
大逆転劇を導いた波留敏夫
今回の「歴代選手紹介背番号2」は
前回の山崎賢一
が戦力外通告を受けた
93年のドラフトでベイスターズに入団し
背番号2をつけた波留敏夫について書いていきたいと思います


▼熊谷組から入団したハマの核弾頭

1992年の都市対抗で準優勝し、93年の社会人ベストナインに遊撃手で選ばれた波留
この年から採用された逆指名制度を利用して
ドラフト2位でベイスターズに入団します

遊撃手でベストナインに選ばれながらも
サードやセカンドもこなせ
1年目のキャンプでは
首脳陣から外野手の適正も試され
即戦力として期待されます

ルーキー1年目の7月4日には代打として初出場して以降は終盤まで1軍入りし
遊撃手として三塁手としてそして外野手でもスタメン出場
8月30日には
初回先頭打者本塁打を記録するなど
1番打者としての適性もみせ53試合に出場します

2年目は、当時のベイスターズで唯一固定されていなかった
「1番センター」として期待され、100試合に出場

打率も.300を残し、打率ベストテンの5位に入ります

3年目の96年頃から
1番波留、2番琢朗でコンビを組むことが多くなり
外野の守備では怪我も恐れず飛び込むプレーを見せ
波留のガッツ溢れるプレーにファンも惹かれていき
外野席には「ハマの核弾頭波留敏夫」という横断幕も登場します

波留自身も
「ガッツがなくなる時は僕の終わりの時だし、
技術うんぬんより気持ちでやるタイプだから」

とチームの先頭に立って熱いプレーをすることを信条にグランドに立ち続けます

波留のガッツは97年にはチームにも伝導
ヤクルトと37年ぶりの優勝を最後まで争います
その緊張感の中でもこの年の9月9日の巨人戦で川相の打球を
“エビ反り”のダイビングで捕球するなど変わらない姿勢を見せます

この年は打率.295 盗塁もプロ入り初めて二桁決めるなど
順風満帆なプロ生活をこの4年間過ごし
後一歩で届かなかった優勝に向けて更なるガッツを見せるだけでした

▼脱税発覚の汚名もガッツで返上し、38年ぶりの優勝
優勝争いの余韻がまだベイスターズファンに残っていた97年11月
球界を激震させた事件が起きます
【プロ野球脱税事件】が発覚
この事件にベイスターズも3選手が在宅起訴を受け
その一人が波留でした
特に波留は、川崎義文万永貴司

この事件に深く関わった経営コンサルタントを紹介し
200万円の仲介料を受け取るという
言い訳のできない非常に悪質な罪に手を染めていたことが発覚します

波留の脱税額は1740万円
懲役10か月、執行猶予2年、罰金450万円の刑罰を受け
そして球界の処分として
コミッショナーからは1軍の出場停止6週間と制裁金70万円
球団からは別の処分として
出場停止中の6週間は他の球団の選手は許されていた
2軍の試合での出場も禁止されました

優勝を信じているファンを裏切り、野球人としての誇りも汚した波留…
彼はとにかくグランドで返上するしかありませんでした
当時、私もこの事件は非常にショックでした
(まあ、この7年前の中山の事件の方がショックでしたが…)

しかし98年監督になった権藤の波留への信頼は強く
出場停止処分が明けた5月16日
2軍の試合にも出場していなかった波留は1軍で1番センターとして即先発出場
この日は4打数無安打、それからもなかなか結果がでませんでしたが
権藤はスタメンに使い続けます

この時期波留は、打てなくてかなり悩んだようですが
「首脳陣は何のために僕を使ってくれるかと言えば、チームの雰囲気を盛り上げたり、ガッツを出して、元気だしてやってくれということだと思った。
だから成績は後でついてくると思って必死にやった」

と語っています

そしてその言葉通り、打てなくても元気一杯のプレーを見せた波留は
7月には調子が上がり
冒頭の7月15日のサヨナラヒットなどの活躍などで
7月の月間MVPに選出されます
波留にとって初めての月間MVPでした

すると、例の事件で失望していたファンも再び波留を後押し
「ファンが港ヨコハマの味が出てきて去年よりも今年の方が盛り上がっている。打席に入っても守っていても勇気をもらえる」
と波留が評す横浜のファンが
再び波留のプレーに魅了されます

そして10月8日にチームは38年ぶりの優勝を果たします

▼キャリアハイの99年からの転落、そしてトレード
日本シリーズでも全試合2番打者として出場
第6戦には決勝のホームも踏んだ波留

翌99年は大活躍
6月4日のハマスタでの巨人戦では
5回まで5点ビハインドの試合を
98年以上のチーム打率を誇った
マシンガン打線が追い上げ
8回裏に波留が槇原から満塁ホームラン

7月2日にも東京ドームで巨人の助っ人ホセからも満塁ホームランを打ち
巨人戦でシーズン2本の満塁本塁打を打ったのは球団史上初でした

さらに6月13日の札幌での試合では
前年9回に6得点を奪った帯広での試合を彷彿させるかのように
9回表まで3-8と大量ビハインドの負け試合を
9回裏に6得点を奪いサヨナラ勝ち
その試合でサヨナラ打を放ったのが波留でした

この年
130試合出場 打率.298  本塁打15 打点70 盗塁21
とキャリアハイとなる成績を残します
(この成績で2番打者とか今なら1億以上出しても欲しい選手ですね…)

しかし翌2000年
6月14日に左太もも痛で1軍を離脱
7月4日に1軍に復帰するも、復帰を急いだせいもあったのか
その日の試合前の練習で左膝を痛め
シーレックスに降格、そのまま昇格することなくシーズンを終えます
わずか60試合の出場は、ルーキー時代に継ぐ少なさでした

波留が離脱している間、2年目の金城が首位打者を獲得
若手の成長株多村やルーキー田中一が頭角を現していました

そして98年優勝に導いた権藤は
選手とのコミニケーション不足もありチームを去り
権藤とは正反対の管理野球、森が監督に就任

駒田も現役を引退、進藤もトレードでオリックスへ、ローズもアメリカへ帰り
優勝メンバーは少しずつ横浜を去っていきました…

そして波留は心機一転の意味も含めて背番号1に変更します

☆背番号1時代の波留については
2代目背番号1 波留敏夫 春1番は1年もたずに名古屋へ

で詳しく書いてますのでぜひ、参考に

▼38年後に会いましょう
背番号1に変更した波留は、森監督に内野手へ再転向され成績を残せず
シーズン途中にトレードで中日に移籍します

トレードの記者会見で
「このまま横浜で終わりたかった」と涙を流す姿は
ファンにとって98年がもう過去のものだと認識させられた
最初の出来事だったような気がします
中日では2番センターを期待されていたものの結果を残せず
2003年にはロッテへトレード

ロッテでは2004年に西武との開幕戦で1番中堅手としてスタメン出場を果たすも
結果を残せず、このオフに戦力外を受けて引退します

引退後は、2006年より古巣ベイスターズでコーチに就任
現役時代と同じ8年間ベイスターズのユニフォームを着ます

2014年よりかつての同僚谷繁を助けるために中日のコーチに就任
監督谷繁の隣に立っている姿がよくテレビで映ってますね

波留のガッツ溢れるプレーは
小学校高学年から中学生になる自分は非常に興奮しました
打撃フォームを真似していた時期もありました

これだけガッツ溢れるプレーを見せた波留が意外なのは
一度もゴールデンクラブを獲得できなかったこと
本人も99年の雑誌インタビューで
「(ゴールデンクラブは)昨年(98年)も1昨年(97年)も期待していた。
投票権のある新聞記者の方が巨人、阪神に同行しているから
新庄、松井に票が集まるのだと自分を納得させてます」

と恨み節まで言うほど本人も狙っていた賞だっただけに
この99年もとれなかったのは悔しかったでしょう

外野手で守備率は1位だったんですけどね…

それでも波留の守備は球団の歴代選手の中でもトップクラスの外野守備だったでしょう

プレーだけでなく
ヒーローインタビューでも笑いをとり、スタンドを沸かしてくれました
しかし98年のビールかけで言った何気ない一言
「また、38年後お会いしましょう」

あのビールかけから、17年間優勝していないことを考えると
冗談が冗談になっていない現状に本人も心を痛めているみたいですね

現在中日のコーチをして谷繁を支えていますが
この2人が中日の指揮をとっていること姿が寂しく感じます…

98年戦士にまた我々が会えるのは、38年後なのでしょうか…

☆記事中の波留のインタビュー記事は月間ベイスターズ98年10月号、99年9月号を参考

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