ベイスターズ3代目背番号2 金城龍彦 2番金城、森野球最大の失敗


98年、38年ぶりの優勝をし、世間の注目を集めながら

▼ベイスターズ背番号2をつけた金城

ベイスターズの選手は決して全国区にはならなかった
流行語大賞にもなった大魔神佐々木は、
F1リポーター
をやったり
ニッポン放送でレギュラー番組を持つなど全国区と呼べる知名度はあったが
正直他の選手はベイスターズファンもしくは横浜市民以外には
名前を知られることはなかった

中学生だった自分は
「なんで佐々木ばっかでベイスターズの選手にはCMが来ないんだろう?」
と思っていた…

しかしその2年後
意外な選手がCM出演を果たす

00年金城龍彦は、なんと東京電話のCMに出演する
大女優松坂慶子(まだ細かった頃)との共演した
東京電話の割引サービスのCMで
打率.346で首位打者をとった金城に松坂慶子が
凄い打率ね。でも1割減ったら大変ね」と言い
東京電話で固定電話を契約すると料金が割引になるという宣伝だった

(私の実家も一時東京電話だった)

しかし、松坂慶子の言ったように2001年のシーズン
背番号が37から2番に代わった金城の打率は1割落ちる
今回は歴代ベイスターズ選手紹介は
波留が背番号2から背番号1
に変えたことに伴い

背番号2を付けた金城龍彦について
2001年にシーズンを中心に書いていきたいと思います
ちなみに金城の背番号1時代は
参考記事;3代目背番号1 金城龍彦 ミスターベイスターズの寂しい引退
に詳しく書いていますのでぜひ、どうぞ

▼4年間バットを振らなかった男の野手転向

ベイスターズが優勝した1998年、ドラフト5位で入団
「ストレートに加え、カーブ、スライダーにも切れがある」
当時のスカウトがそう惚れこむ投手であった

しかし、本人は社会人時代DH制で
一度も打席に立つことはなかったにも関わらず
プロでは打者として勝負することを宣言
「自分でも投げるより打つ方が好きですし、やはりプロという最高の舞台では自分の好きな方で勝負をしたかったんです。」
(99年月刊ベイスターズ2月号より)

と語っている

トマトが苦手好きな言葉を努力と言う男は
まさにトマトのような血の滲むような努力
プロの舞台で野手として躍動する
社会人4年間で一度もバットを振らなかった男は
スイッチヒッターにも挑戦する
プロ入り1年目から練習量は並大抵のものではなかったらしく
首脳陣が異口同音に「あの努力は並大抵のものではない」と絶賛
終盤には1軍に昇格、99年10月15日にあっさりヤクルト高木から
プロ入り初安打を放つ

そして説明不要の2年目
進藤が怪我で離脱するとサードのレギュラーに定着
安打を量産し、7月には3割9分8厘をマークし月間MVPを受賞する
金城がレギュラーに定着したこの年は伸び悩んでいた多村も1軍に定着
打率が落ち始めた多村が金城に相談し

「なんでそんな小さいことを考えてるんだよ、もっと楽な方に考えればいいのに」
金城がアドバイスを送り多村が不調を脱したことがあった
(月刊ベイスターズ2000年9月号)
2年目でありながらチームメートにも
打撃のアドバイスを送るほどの
努力の天才はこの年

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首位打者を獲得する

そして2年目でありながら新人王にも選出される
球団は、金城に
これからのベイスターズの顔になってもらうために
背番号2を与える

▼外野手転向、犠牲を求められる2番打者…背番号2は苦悩する

背番号2として3年目のシーズンを迎える金城

 

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97年、98年2度首位打者を獲得した鈴木尚典のように
2年連続首位打者を期待された2001年
ベイスターズの環境は大きく変わる
西武の黄金時代を築いた管理野球のが監督に就任する
森は就任1年目から自由でノビノビ野球の権藤ベイスターズを改革

「駒田やローズがいてもホームラン数が6球団の中で最低の球団、今年はその2人がいない。つなぐ野球が大事。つなぐ野球と言ったら『バント』なんです。面白くないと言われても、いざ本当の野球になればバントが成否をわける

「野球の中には犠牲フライ、犠牲バントとか“犠牲”という言葉が使われているでしょ。犠牲を強いられる選手もいれば、その犠牲を活かしてヒーローになる選手もいる。『目立つ選手を作りだす』働きをした選手の方がチームにおいては大切なんです」
【月刊ベイスターズ2001年 4月号森インタビューより】

ここで犠牲を強いられる選手が大事と話した森は
その役割を前年首位打者を獲得した金城に期待する

森はまず
金城を内野手から外野手へのコンバート
そして打順は2番
キャンプでは
打撃練習では右打ちとバントの練習のみ
それ以外は外野の守備練習に多くの時間を割けさせる
本来、自由に打つことで野性的なバッティングを見せる金城…

彼に
犠牲を強いらせることを決めたこと
森野球の最初の躓き
だったようにも思える
しかしそれでもこのシーズン金城は2番打者の役割をしっかり果たす
犠牲バントはチーム最多の43個
打点も前年の36から伸ばし49打点
前年サードで12あったエラーも
外野手に転向したとはいえ5個に減った
外野転向1年目、慣れない2番打者を任されながら
森が求めた役割をきっちりこなした

打率は前年.346から大きく落とし、.271となったが
シーズン終了後契約更改前に
「金城が1番チームの野手で仕事した。打率が下がったのは俺が別の役割を求めたから。査定にそれは含めないで欲しい」
と直々に森が球団に頼むという異例の出来事も起きた
球団はそこは考慮し
金城に翌2002年のシーズンから背番号1をつけることを認める
名実共にここにミスターベイスターズ金城龍彦が誕生したわけだ
しかし翌2002年金城は打率2割を切ってしまう

▼プロ入っての夢は『ビールかけ』と言った男の引退

2002年金城の不振もあり、チームは断トツ最下位に落ち
ベイスターズは、現在まで多少の浮き沈みがありながらも
超低迷時代を送っている

もし、森が2001年金城を3番打者として犠牲を求めない立場で打たせていれば…
17年間チームが優勝できなかったことはなかったかもしれない
そして金城がベイスターズで1度は歓喜の瞬間を味わう事ができたかもしれない
入団前、月刊ベイスターズの取材で金城は
『プロになったらこれだけはしたいことはなに?』という質問にこう答えている
「ビールかけです」
昨オフ巨人に移籍したが今年引退を決めた金城…
結局彼はプロで一度も入団前の夢を叶えることはできなかった
来季巨人の3軍コーチが決まった金城
彼は一体どこで初めてのビールかけを経験するのだろうか…
そして金城と同じ歳で同じシーズンに1軍に定着した多村…
2人のレジェンドを
ベイスターズのユニフォームで引退させられなかたことは
しつこい様だが悔しい
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いつかは、もう一度このユニフォームで…

次回は金城の後に背番号2をつけた内川聖一について書きたいと思います

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