1998年5月19日 対ヤクルト3回戦 大魔神佐々木通算210SP達成!


1998年5月19日対ヤクルト3回戦
尚典サイクル安打未遂と大魔神伝説

o0550032113488141808

【スタメン批評】
(ベイスターズ)
前日復帰後初安打を放った波留はこの日も1番センター
好調畠山は3試合連続でスタメン出場
3勝目をかけて三浦が先発
(ヤクルト)
怪我人続出のヤクルトは1番に度会を入れる
3番に土橋を入れるが打線の迫力がない
前年本塁打王5番ホージーは右ひざ痛をおして志願の先発出場
7番には入団2年目の岩村が初出場初スタメン
8番宮本は脱税事件で4週間の出場停止処分が空けて5月頭からスタメンに復帰している
【試合ダイジェスト】
横浜先発の三浦は初回に2つの四球1死1、2塁のピンチを迎える
4番古田がセンターへ弾きかえす当たりを放つも真中がまずい走塁で本塁憤死
三浦はピンチを切り抜ける
するとその裏3番尚典がライトスタンドにソロ本塁打を放ち先制
しかし3回表度会に死球を与え続く真中がヒットで出塁すると4番古田がスリーラン
逆転を許してしまう
その裏、2死から尚典が天才らしく3塁打を放つとローズのタイムリーで生還1点差に追い上げる
三浦は6回を古田のスリーランでの3失点でマウンドを降りると
6回裏にベテラン畠山のソロ本塁打で同点
連打で1,2塁とすると代打佐伯が勝ち越しタイムリーで逆転
7回裏には田畑の後を受けた松田と伊東昭光を攻めて
ローズ、駒田、進藤の3本の2塁打で2点をさらに追加し6-3
横浜は7回から2イニングを斎藤隆が抑えると
最後は大魔神佐々木が満塁のピンチを作るもしっかり無失点できり
7セーブ目これで通算210SPとなり、歴代2位の江夏の記録に並んだ
ちなみに3番の尚典は後2塁打が出れば、サイクル安打達成だった

★PLAY BACK98年コラム“あの時、あの星たちは”★
5月19日「首位打者は“付録”鈴木尚典、」
■セリーグのイチローと呼ばれるまで■
“セリーグのイチロー”
97年鈴木尚典が首位打者争いをしていた頃メディアは彼をこう呼んだ
背番号はイチローと同じ51番
イチローのように綺麗な右打ちも出来るが、左に強い当たりを引っ張ることもできる
ただ、本人にとって年下のイチローの“2世”と呼ばれることに違和感もあっただろう
球団もそこに配慮したのと期待を込めて98年から背番号7を与えた
尚典は、元々ドラフト4位で指名されたこともあり、期待がそれほど高かった選手でもない
入団してからの3年間は1軍でも足を活かして代走で出塁ことが多かったように記憶する
ルーキー時代からの2年間はファームでも本塁打を打ったことがない
しかし当時のホエールズ2軍打撃コーチの竹之内雅史の指導を受けて尚典の打撃は開眼する
93年は2軍で4番を任されるほど成長し
そして私がファンになったきっかけで本人もプロでは忘れられない1打にあげる
94年8月9日の東京ドームの巨人戦で槇原からグランドスラムを放つことで1軍に定着する
95年からは3番打者としてレギュラーを掴み96年には規定打席に乗り
最終戦を残して打率.301と1流の証3割打者の仲間入りするところまできた

■96年.299が97年.335の首位打者を生んだ■

その最終戦尚典を語る上で有名すぎるエピソードがある
96年3割打者としてシーズンを終わらせてあげようと
当時の監督の大矢を含めた首脳陣は最終戦尚典を欠場させるつもりだった
しかし“とっつあん”こと当時の打撃コーチ高木由一は
「こいつはまだ若い、自分の力で3割を勝ち取らせたい」
そう語り他の首脳陣を説得しスタメン出場
しかし4打数無安打で打率は.299
3割打者でシーズン終えることはできなかった
しかし本人は後年
「自分にとってはこの最終戦に出場したことが大きな財産になりました。3割がどれほど価値がるか逃してわかりました」(ホエールズ・ベイスターズ60年の軌跡より)
と話す
3割を逃した悔しさをぶつけて翌年首位打者を獲得した
このあたりのエピソードを考えると昨シーズン(2014年)筒香を最終戦出場させて欲しかった

■優勝だけを狙っていた尚典に訪れた同じ目標を持った先輩達■
プロ入団後、1軍で優勝することが難しいと悟った尚典は
「オレの優勝経験は高校野球で終わったんだろうな」
と諦めにも似た感情があったと言う
リトルリーグ、シニアリーグ、高校野球と優勝を経験してきた
尚典の頭には常に「チームで優勝すること」が野球をやる上での目標だったという
しかしプロで入団した大洋ホエールズは優勝は1960年の一度のみ
優勝をモチベーションに野球をやること自体難しい環境だったのかもしれない
当時の中堅ベテラン選手の中に果たして
どれだけ優勝を本気で目指していた選手がいたのだろうか…
しかし、尚典は幸運だったのかもしれない
同世代ともいえる年齢的には2つくらい上の先輩選手達は本気で優勝を狙っていた
やくみつるとの対談で「僕らの世代が主力になった時このチームは優勝しますよ」
と94年頃に語った石井琢朗、守備のセンスがピカ一の進藤達哉
正捕手を獲得するために貪欲に努力を重ねていた谷繁
「優勝経験のないストッパーに意味はない」と江夏に言われた大魔神佐々木
高校時代に春夏連覇の優勝経験がある野村
そして巨人時代優勝が至上命題だったベテラン駒田など
背景の違いはあれ、本気で優勝を狙っていた選手達がこの球団には多くいた
尚典もこの先輩たちとなら優勝も夢ではないと思ったはずだ
そして97年その夢は後少しで手に届くところまできていた

■首位打者もサイクル安打も優勝の“付録”■
98年は開幕前に波留が出場停止処分、4番ローズの不振など
春先ベイスターズ打線は97年に誕生したマシンガン打線の本来の姿はまだ成りを潜めていた
しかし尚典は開幕から好調でこの5月19日の試合終了時点で打率は.364
打率.336を残す石井琢朗と2人で打線を引っ張っていた
98年のシーズン鈴木尚典は大きな不調なく、シーズン通じてチームを引っ張ることになる
この日、尚典は1打席目に本塁打、2打席目に3塁打、3打席目に内野安打を打ち
2塁打1本でサイクル安打達成だった、しかし残り2打席は凡退
「最後の2打席はめちゃくちゃ意識した」と話すが
「サイクルはいつでもチャンスはありますから、それよりチームの連敗が止まって良かった」
優勝以外の勲章は“付録”としか考えていない男にはサイクル安打よりチームの勝利だった
佐々木が210SPを達成したこの日、ベテラン畠山も1本塁打を含めた2安打と奮闘している
98年の優勝へチームは一丸となってきた

【試合結果情報】
5月19日対ヤクルト3回戦@横浜スタジアム
ベイスターズ6-3スワローズ
勝:三浦3勝3敗
負:田畑2勝4敗
観衆:22000人
試合時間:3時間39分

ここまで読んでいただきありがとうございます
最後に応援クリックお願いします! (※ブログ村に移動します)
にほんブログ村 野球ブログ 横浜DeNAベイスターズへ

記事更新時に通知を受け取ることが出来ます。

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。